「ニイリ」 または 「ニイラアヤグ」 とは何のことでしょうか?

 稲村賢敷の解説では 「ニイリ」 は過去に生きていた人々、私たちの先祖の住んでいるところを意味し、「ニイラアヤグ」 は、それら先祖の人々について歌ったアヤグであると述べています。

 つまり、「ニイラアヤグ」は、まだ文書では記録されることの無かった古い時代に宮古島に住んでいた人々について歌われた歌であり、その人々がどのように考え行動していたのかを知ることができる重要な口碑、歴史資料だということです。

 また、伊波普猷は1943年出版の 『古琉球』 の中で 「 南の島で最も抒情詩の発達した所は宮古島である。 そこには1700年代より採録された30篇に近いアヤゴが伝えられている。」 と書いています。

 但し、歌の形で残された口承文化だけに長い年月歌い継がれる過程で内容がデフォルメされたり、省略された部分もあるのでしょうが、「与那覇勢頭豊見親(よなはせどとうみや)のニイリ」 に代表されるように 「ニイラアヤグ」はそれらの時代を生きた人々の考えや社会環境を知る上で、多くの手掛かりを現代に残してくれました。
 「与那覇勢頭豊見親(よなはせどとうみや)のニイリ」 はこちらでお読み下さい。  
 
 
南方渡来伝説 大浦多志(おぼらだす)豊見親
   宮古島の大浦部落は昔、中国の福州から宮古島に渡った大浦多志豊見親によって開墾された村であると言われています。 『第二宮古島旧記』 の記録では、大浦たし城は長さ1丁10間 (291m)、横35間 (64m)、 門は申酉 (西南西)に向いている、と記されています。 また、大浦部落での言い伝えでは、今ある大浦部落は1714年に人頭税の税収を増やすために新たに作られたもので、大浦多志豊見親によって開墾された大浦村はこれより西の方角で、通称「ヤスキ」 と呼ばれる大浦湾東北部の小高い丘にあったということです。

 『第二宮古島旧記』 によると、今から約600~700年前名も知らぬ中国福州の男が戦争の止むことの無ない福州を脱出し、どこか安らかに暮らせる場所を求めて船を造り、宮古島の大浦にたどり着いたそうです。 大浦に住んでいることから、大浦多志と呼ばれたこの中国の男は地元の女性と結婚し村も栄えたそうですが、大浦村は14世紀の与那覇軍の襲撃、あるいは15世紀仲宗根豊見親の宮古統一のための攻撃のいずれかによりによって全滅したようです。

 唐人渡来伝説、あるいは南方渡来伝説と言われる大浦多志豊見親のニイリは、以下のような内容です。
   

             

稲村賢敷のまとめた 「大浦多志」 の詩と訳は以下のようになっています。
(訳の部分は、宮古島キッズネットが児童に分かりやすい現代語表記に再編集したものです。)
 
もと歌 歌の内容は次のようなものです
   



1. 大浦多志ながるたし豊見親よ

1. おぼらだす豊見親は

2. 唐の島福州島生り 2. 中国の福州の島で生まれました
3. 戦(いう)さ島ふあり島やりば 3. 島では戦争が絶え間なく
4. 居(うら)りげく立たりげくにゃーんにば 4. 生活がなりたたなかったので
5. 船がまば、みそがまばおわけ 5. 船を作り準備を整え
6. 布や張り苫(せん)や張り被(か)うし 6. 布や茅を織って帆や被(おおい)いを張りめぐらし
7. 布巻ば糸巻ば積上げ 7. 布や糸巻きをはじめ
8. 唐がみばすび甕(がみ)ば積上げ 8. 瓶(かめ)もたくさん積み込んで
9. 寝ん筵(むしろ)、寝ん畳つみゃぎ 9. 寝床に使うむしろや畳も積み
10. 臥す枕にん枕積みゃぎ 10. 枕も船に積んで
11. 南風ぬなぐ風ぬ押(う)すたりゃ 11. 南風の吹くのを待って
12. 風たどり、うりたどり出(いだ)し 12. 風にまかせて船出し
13. 夜(ゆ)くみ明日(あちゃ)ぬ朝んな 13. 夜も通して航海し朝になると
14. 大浦湾ながる浜(ぱま)ぴゃり着き 14. 大浦湾に着くことができました
15. 野火たち煙(きうす)立ち見りば 15. 野の木々をもやしてみると
16. 立つかぎさ燃(む)いかぎさありば 16. 燃えた土地は耕地となった
17. 川ゆまわり水ゆ廻り見りば 17. 川や水のある所を探すと
18. いら井(があ)ぬかぎ水ば見つき 18. いら井という水の湧くところがあった
19. 田ゆ廻り島廻り見りば 19. 島をまわり畑になりそうなところを探すと
20. 田原田ぬはきゃな田ば見つき 20. 田原田という良き耕地を見つけることができた
21. どきぬほり、あていぬほからしゃん 21. あまりにも良い土地だったので喜び
22. 屋敷とり所とりしうとい 22. 屋敷をたて
23. 世果報(よがほ/ゆがふ)ぱい村ゆぱいしゅーりば 23. 豊作にめぐまれ村立てをしたが
24. 妻(とず)ん無(にや)だ、まいつ無だうらりだ 24. 妻もいなければいけないので
25. 嘉手刈(かでかり)ぬ玉んふるふにゃつば

25. 嘉手刈村の玉のような美人「ふにゃつば」

26. うりだきぬ玉んふるふにゃつば 26. 「ふにゃつば」 という娘が居るということを聞き
27. 仲人(なかひと)ゆ乞ふ者うすみりば 27. 仲人を頼み
28. やらすない七すないやらしば 28. 結納の品々七種類を揃えて妻をもらい
29. 保喜理(ほきり)森おか嶺や立せよい 29. ほきり森おかの嶺を霊所として
30. 島広げ国広めとよみうり 30. 島で広く繁栄した
 
 
宮古島キッズネットでは、応用統計学や社会統計学により歴史的記録内容の検証を行っていますが、今まで保存されていた歴史的資料や残されている遺物、遺産は全て今後の研究のためにあるがままを伝える事を原則としています。 つまり、「その時代、その場に居た人の正確な記述や信頼性の極めて高い証言を確認できない限り、全ての歴史的な話はモチーフとして尊重し、あるがままを後世に伝える」 との基本姿勢で時代背景を含め複数の資料を参考に編集を行っています。
 
 
鍛冶神(かずがむ)のニイリ
   「鍛冶屋(かじや)の技術は、いつ誰によって伝えられ発展したのか?」 は、今でも宮古島や八重山諸島の歴史研究をする人々によって活発に論争が続けられているテーマのひとつです。

 実際に家系的に繋がっているという人あり、また多くの研究者による諸説ありと、これから先も論争が止むことはなさそうですが、 論点が多く論争が高まるほどそのテーマに対する人々の認知度、注目度が高くなるので、歴史学や人類学上、さらに宮古島の文化のためにもとても歓迎すべきことです。

 下記の 「鍛冶神のニイリ」 でもそうですが、鍛冶屋をするため沖縄や、宮古島に渡ってきた人々は、漂着といった偶然のケースもあるでしょうが、多くは技術の伝達のためという明確な目的を持って来た人たちと考えます。 その理由は、鍛冶屋の仕事はしっかりとした兵站(へいたん = 補給のための輸送手段)、今でいうロジスティックが出来上がっていなければ続ける事ができません。 新しく鍛冶屋を始める地域では、現在のように鉄の原料を現地でリサイクルで手に入れることができないので、鍛冶屋は鉄鉱石を本土の鉄工業の盛んな場所から確実に手に入れる購入・配送ルートを持っていたと考えられます。 この歌にある 「船の準備を整え」 の中には、間違いなく原料となる鉄鉱石や砂鉄の積み込みもあったはずです。 (宮古島キッズネット)
   

             

稲村賢敷のまとめた 「鍛冶神のニイリ」 の詩と訳は以下のようになっています。
(訳の部分は、宮古島キッズネットが児童に分かりやすい現代語表記に再編集したものです。)
 
もと歌 歌の内容は次のようなものです
   



1. 鍛冶神(かずがむ)がなすど
しやふね主がなすど

2. まばずみぬ生(んま)りわーい
やまと島生まり 

3. やまと島まんなん
日本島(にふんずま)まんなん

4. かに盛(むい)ぬ三盛 
中むいの盛から

5. 生りわらまい 
はるきわらまい

6. 大鞴(うぶふき)ばつふあまい
大かんか盛らまい

7. 大鎚(うぶつつ)ばつふぁまい
鎚がまばつふぁまい

8. 大箸(うぶばす)ばつふぁまい
かずどうばつふぁまい  

9. なぎふとうくわを
はばゆく手ぐわを生(んま)らしどわらまい 

10. やまと島育(しゆだ)て  
日本(にふん)島育てまた育てでやりば

11. 船がまばうしゅき 
ぴやさぎ(船)ばうしゅき

12. 船がまぬ荷物や
ぴやさぎ(船)ぬ荷物や

13. 鍛冶道具(かずどう)ば荷ゆし
しゃふ道具(どう)ば荷ゆし

14. 沖縄(うちなー)島んみゃまい
按司(あんじ)元んんみゃまい 

15. 沖縄島育て
北南(にすばい)ば育て

16. 育てぴゃーしわちか
また育てでやりば  

17. 船がまばうしゅき
ぴやさぎ(船)ばうしゅき

18. 宮古島んみゃまい 
殿平良(とのびらら)んみゃまい  

16. 宮古島育て 
北南(にすばい)ば育て

20. 育てぴゃーしわちか
また育てでやりば 

21. 船がまばうしゅき
ぴやさぎ(船)ばうしゅき

22. 多良間渡り
三ぱら島渡り 


1. 鍛冶(かじ)神さまの
大工(だいく)神さまの

2. お生れなったのは
やまと島でお生れなった

3. やまと島の真中
日本島の真中

4. 鍛冶の黒鉄の
積み上げられた中に

5. お生れになった
お生れになった

6. ふいごを作り
鉄の作業台を作り

7. 大きなかなづち打ち上げて
小さなかなづち打ち上げて

8. 「大ばし」 は鉄の鋏(はさみ)
「かずどう」 は鍛冶道具

9. 長さ 15㎝位のクワや
4本の指を揃えた幅のクワを作り

10. やまと島の人々に教え終わると
さらに教えを広めるために

11. 船の準備を整え船を出して
船を出して

12. 船の荷物としては
船の荷物としては

13. 鍛冶道具を積み込み
大工道具を積み込み

14. 沖縄の島に渡ってきた
領主のもとに渡ってきた

15. 沖縄に鍛冶技術を
いたるところで教えられた

16. 教え終ると
また次の地で教えるために

 17. 船の準備を整え船を出して
船を出して

18. 宮古島においでになった
平良においでになった

19. かくて宮古島北南の
各地に広め各地に広め

20. 教え広められたら
更に教えるために

21. 船の準備を整え船を出して
船を出して

22. 多良間島に渡り
三原島に渡られた

 
 
宮古島キッズネットでは、応用統計学や社会統計学により歴史的記録内容の検証を行っていますが、今まで保存されていた歴史的資料や残されている遺物、遺産は全て今後の研究のためにあるがままを伝える事を原則としています。 つまり、「その時代、その場に居た人の正確な記述や信頼性の極めて高い証言を確認できない限り、全ての歴史的な話はモチーフとして尊重し、あるがままを後世に伝える」 との基本姿勢で時代背景を含め複数の資料を参考に編集を行っています。
 

参考資料:
1. 宮古島庶民史 稲村賢敷 著(1972年出版)
2. 宮古島舊記(1934年発行 平良町誌 付録)
3. 琉球聖典 おもしろさうし選釈 伊波普猷 著(1924年出版)
4. 古琉球 伊波普猷 著(1943年出版)
5. 旧記 桑江克英 著 (1939年出版)
6. 宮古島旧史 西村捨三 著 (1884年出版)
7. 沖縄文化論業(4) 文学・芸能論 外間守 著 (1991年出版)
8. 清代琉球紀録續輯 台湾文献叢刊第299種 (1971年)
9. Cincpac Command History Volume 1 (1967)
10. Notes on Loochoo, E. Satow (1872)
11.
Ryukyu in the Ming Reign Annals 1380s-1580s, Geoff Wade Asia Research Institute
 National University of Singapore (July 2007)


 
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