今年も宮古島方言大会が行われましたが、高い観客動員実績を見ても宮古島の方言が、今も多くの島民の間で立派にコミュニケーション手段として機能していることに喜びを感じます。
現代の方言を言語として評価する時、残念ながら消滅危機言語とのカテゴリーで扱われる事が多くなりましたが、宮古島の方言も言語学上では同じ評価で扱われているのかもしれません。
「方言を残す」ということは、共通言語主流の現代にあって、私たちの祖父母のようにバイリンガル、つまり二つの言葉を巧みに使い分けていた時代のように、私たちの子孫に方言とユニバーサル(共通)言語を複層化したコミュニケーション手段として持たせ続けることは不可能です。
方言を長く使い続けるための延命措置 (Life-Sustaining Treatment) は、方言大会や公の方言関連イベント、テレビや新聞などのメディア、教育機関、地域活動、NPO活動、個人による出版やネット、ブログ、ソーシャルメディアなど、地域のあらゆるレベルにおいて相互補完しながら多様な方言の紹介を長期間絶やすことなく続ける必要があります。
しかも、方言を言語としてだけの位置づけで考えるのではなく、文化としてより多くのステージで活かしていくことで、言語としてのライフスパンを伸ばしていくことができます。 統計学的アプローチから見ると、方言も様々な領域で多く使われ、露出度が高くなるほど他の場面でも使われる頻度が高まり、人々の認識の中に長く留まります。 仮に言語学上の評価がどうであっても、その予想をくつがえす文化的発展を続けるポテンシャルが宮古島の方言にもあります。
但し、このことで確かな成果を上げるための大原則があります。
それは、「他の人が試みている手法を批判したり、その動きを留めたり妨害しない」 ということです。 百年後にその手法がどのような良い結果に結びついているかは誰も予測できません。
それがどんなにささやかな試みであったり、仮に非論理的に見えたり、非現実的と思える手法や言語学者には受け入れられない方法であっても、あくまでも今の認識の範囲で判断しての評価にすぎません。
多くの新時代を作り上げた手法や発見も、それ以前に生きた時代の人々や当時の学者・研究者と言われた人々にとっては想定外であったのと同じことです。
「方言を言語としてだけの位置づけで考えるのではなく、文化としてより多くのステージで活かしていく」 について宮古島の方言に関するリサーチ クラスターを通じて考えるとき、方言や少数民族の消滅危機言語に関し参考になる作家の象徴的な言葉があります。
日本の一部の出版物ではEmil Cioran による記述とされていますが、Exile and the Politics of Exclusion in the Americas (Edited by Luis Roniger, James N. Green and Pablo Yankelevich) の中で Robert Tittler が、「作家にとって祖国とは、地理的な問題ではなく、生まれた場所で使っていた言語そのものである。」 と言っています。 つまり、方言や民族の言葉は言語学上あるいは学問としての言葉でなく、思想そのものであるということです。
方言が生き続けることで、その地に住む人々が長い歴史の中で培った独自の高い文化性を伴う想像力、判断力、その地で生まれた者としての確かなアイデンティティを維持することできます。
先ほど触れた Emil Cioran ですが、自分の故郷の言葉について彼の面白いコメントがあります。 哲学者でエッセイストであったシオランは、ルーマニアの中西部ラシナリーで生まれ育ちましたが、執筆活動はフランスで行っていました。 そのシオランが生れ故郷の言葉について聞かれたとき、「自分が生まれ育った地方の言葉以外で物事を伝えるのは、辞書を片手にラブレターを書くようなもので、思いを言い表す的確な言葉を探し当てることができないもどかしさがある」 と言っています。
宮古島の方言を残したいと活動する人々にとっては、活動のモチベーションとなる多くのヒントが含まれている一言です。
方言を単に意思伝達の道具(コミュニケーション・ツール)として考えると、存続のためには膨大なエネルギーが必要となりますが、方言の持つ地域の文化的エッセンスを活かす活動を続けることで、方言は言語としての機能と共に 「その地域に生まれ育った人々全員の思想そのものであり、アイデンティティである」、との認識も高まり、宮古島の方言に新たな息吹きをもたらすことになります。
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