沖縄県宮古島 島費軽減及び島政改革請願書
請 願
沖縄県宮古島の平民西里蒲他一名は、憲法の条項に従って、ここに星亨衆議院議長に請願致します。
私たちは沖縄県宮古島の住民で、今日まで人頭税を支払ってきました。 人頭税は支払い分を現物で納め、平均一人当たりの納税額は年額2円以上(現在の金額で約7,600円)になります。 内地(日本の本土)と違い、宮古島での生活は貧しくとても大きな負担となっています。
更に私たちの生活を困難にしているのが、男女ともに一人につき粟(あわ)何俵を納めるべしという決まりです。 これは各部落によって事情は違いますが、少なくとも一家で5~6俵(300 ~ 360kg) の納付が義務付けられ、家族の多い家では16~17俵(960 ~ 1020kg) を納めることになっています。 しかし、納付義務量を納めることが出来ない家は、粟の代わりに馬を売ったり、豚を売ったりして不足分の埋め合わせをしています。
また、番所からは 「この家では、金額にして幾らいくらの値の麻糸を納付しなさい」 とか、「お前の家からは、誰々が番所に通い織り機を使って、紺細上布や白上布、白木綿布を織るように」、との命令を受けます。 麻糸の納付を命じられた家では、原料を那覇の商人から購入しなければならず、原料の値上がりで、納税負担がとても大きくなっています。
宮古島から沖縄県庁に納めるべき毎年の納税額は、定額で粟の数量にして 5,408石5斗9升6合9勺8寸(約812トン)となっており、もともと収穫量が十分でなく、そのすべてを粟で納付するのは難しいために不足分を上布をはじめ他の布類で納めています。
今年8月の宮古島の相場で計算すると、粟の総量は30,071円79銭9厘3毛(現在の金額でおよそ 1億1,430万円)になり、粟と織物を合わせた納税額の合計は、37,167円81銭3厘(現在の金額で約 1億4,124万円)となります。
また、沖縄本島の士族で組織される役所(倉番所)の経費と小学校、病院の年間費用31,745円10銭6厘(1億631万円)も税金に合わせて納付しなければならないので、その総額は6万9,112円94銭9厘 (2億6,263万円)となっています。
宮古島の島民35,338人が負担しているのは、県庁より派遣された派出官・巡査 36人、島内士族の倉元役人 131人、 在番所役人 144人、 見習い書記 34人、 見習い農務書記 16人、 貢賦所職員 15人の合計 373人になります。 また、小使いも380人いますが、倉元や番所に毎日出勤するものは全体の5分の1(20%)程度で、これらの年俸も、事務費とは別に支払わされます。
倉元の年俸は、280円(1,064,000円)、首里大屋子が 195円(741,000円)、 大目差が150円 (570,000円)、 脇目差が113円(430,000円)、与人 150円(570,000円)を、それぞれ受け取っています。
士族と平民の違いとはいえ、同じ島に暮していながら士族、役人は悠々と毎日を過ごし有り余る食糧と歌や舞などを楽しむ生活をつづけています。 一方で平民は、役人の報酬を支払うために毎日やっとの思いで働き続け、寝る時も食べる時も心穏やかな時は無く、余分に収穫できたわずかのものさえ税金の足しに差し出さなければならないのです。
平民は空腹をサツマイモで何とか満たしていますが、半数以上が毎年収穫する粟の味さえ知りません。 味噌がある家庭は4軒に1軒くらいです。
着るものといえば、粗末な芭蕉布1枚、冬は破れた袷(あわせ・裏地の付いた着物)1枚という状態で、しかも袷は一家に1枚しかなく、外出する家族が交代で着て出かけるありさまです。
宮古島の農家の住まいは、内地でいう樵(きこり)小屋のようなもので、生活の悲惨さを最もよく表している貧弱さです。
これらの非常に困難な生活状況は、全て島民が負担している重い税金のためです。 重税に耐え切れなくなった島民の中には、逃亡して八重山にのがれ、山中深く隠れ住む者もいます。
このような重税を改めて頂きたく、数年前より島の役所に出頭し、現在の人頭税を廃止して本土と同じように土地に対して課せられる地租税に改めて欲しいこと、 現物支給による納税方法を改め、貨幣によって納税することなどのお願いをしましたが、まったく取り上げて頂けませんでした。 今も妻子には飢餓が迫っています。 一家はほとんど離散してしまいました。
このような宮古島の不幸な状況を衆議院議員の皆さまに知って頂き、人頭税制度の改革に関する審議をお願い致したく、ここに請願書と事実及び請願に至る理由書を添えて懇願致します。
明治26年(1893)12月
沖縄県宮古島福里村163番地
平民農 西里 蒲 (38歳)
沖縄県宮古島保良村25番地
平民農 平良 真牛 (35歳)
衆議院議長 星 亨 殿
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