宮古島の教育と学校の歴史
 
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宮古島の学校の歴史
1823年 文政6年
 
今の北小学校の南側に茅ぶき10.5坪の校舎が造られ、漢籍(かんせき)を教える学校ができました。 (漢籍:中国の書物)
     
1875年 明治8年
  北小学校の北側に、茅(かや)ぶき10坪(つぼ)の校舎を造りました。
その校舎を北校、南側にあった校舎を南校としました。
     
1882年 明治15年
  北校と南校で読み方と珠算、綴(つづり)方を学ぶ普通教育が始まりました。 児童数は約50名でした。
この年の10月30日に、北校と南校が合併(がっぺい)して、 平良小学校が創立されました。
昭和23年に平良第一小学校と平良第二小学校にわかれました。
昭和26年に平良第二小学校は平良市北小学校となります。
     
1886年 明治19年
  伊良部小学校が創立されました。 
校舎は15坪のかやぶきで、生徒数は53人でした。 大正11年と昭和6年に発生した大暴風雨で、2度校舎が全壊(ぜんかい)しました。 

昭和20年には米軍空襲(くうしゅう)により、校舎と施設(しせつ)に大きな被害を受けました。
  狩俣小学校は、西辺尋常小学校として創立されます。(生徒数45名・かやぶき校舎1) 明治39年に狩俣尋常(じんじょう)小学校となります。 
昭和6年の台風で校舎が全壊しました。
     
1887年 明治20年
  最初の宮古郡連合運動会が開かれました。
(琉球大学 戦前の沖縄県における運動会の歴史より)
  西辺小学校大浦分校が開設されました。 
明治24年、狩俣の西辺尋常小学校の校舎が火事で焼けたので、大浦尋常小学校と合併して、
西辺尋常小学校となりました。
     
1889年 明治22年
  西辺小学校が創立しました。
     
1890年 明治23年
  池間簡易(かんい)小学校が設置されました。(後の佐良浜小学校) 
池間・前里両村より生徒40人を募集し、授業を始めました。 昭和23年に佐良浜小学校と学校名を変えました。 
昭和34年、大暴風雨のため、木造校舎16教室が全壊しました。
  城辺小学校福里簡易小学校として開校しました。 
昭和21年に学校名が、
城辺小学校となりました。
  上野地域にある7つの村の子どもたちのために、新里小学校を創立しました。(生徒数82名)
翌年の24年と25年、28年におきた3回の台風により、校舎が大きな被害を受けました。 昭和24年に、新里小学校が
上野小学校となりました。
     
1891年 明治24年
  多良間島に、平良尋常小学校多良間分校が設立されました。 
明治26年に、公立多良間尋常小学校として独立しました。
     
1895年 明治28年
  来間島に下地尋常小学校分教場(ぶんきょうじょう)できました。 
その後、大正8年に来間尋常小学校になりました。
昭和21年、来間小学校・中学校と学校名が変わりました。
  鏡原小学校平良学校細竹分教場としてスタートし、大正12年に鏡原尋常小学校となりました。
     
1897年 明治30年
  平良尋常小学校久松分教場が設立されました。 
児童数は187人、教員は3人でした。 昭和23年、学校名が平良久松小学校にかわりました。
     
1900年 明治33年
  水納島に多良間小学校の分教場ができました。 
     
1903年 明治36年
  池間尋常小学校が創立されました。 
昭和23年、学校名が
池間小学校となりました。
     
1905年 明治38年
  多良間島の多良間尋常(じんじょう)小学校で、運動会が開かれました。 (琉球大学 戦前の沖縄県における運動会の歴史より)
     
1908年 明治41年
  西城小学校は、長間尋常小学校として創立されました。
翌年、学校名が西城尋常小学校となりました。 昭和23年に、学校名が西城小学校となりました。
  砂川小学校は、花桐尋常小学校として創立されました。 
その翌年、砂川尋常小学校と学校名が変わりました。 
☆ 昭和23年に砂川小学校となりました。 
☆ 昭和33年の台風フェィで校舎が壊れ、アメリカの補助によりブロック校舎6教室が建てられました。
     
1909年 明治42年
  下地小学校の校舎が、洲鎌(すがま)にできました。
     
1914年 大正2年
  平良尋常高等小学校が男子校と女子校に分かれました。 男子校は、平良尋常高等小学校となり、女子校は平良女子尋常小学校となりました。
    昭和8年頃の平良尋常高等小学校の教職員の写真
1919年 大正7年
  城辺小学校から分かれて、福嶺尋常高等小学校となりました。(生徒数は男子200人、女子150人) 
☆ 昭和23年の学制改革に伴い、学校名が
福嶺小学校となりました。
☆ 昭和34年の台風サラで、木造の校舎が倒壊(とうかい)しました。
     
1928年 昭和3年
  沖縄県立宮古高等学校のもとになる、県立第二中学校宮古分校が設立されました。(生徒定員100人)  
その後の県立第二中学校宮古分校のながれ
☆ 昭和4年、宮古中学校となりました。
☆ 昭和21年、宮古男子高等学校となりました。
☆ 昭和22年、農林部と水産部が分離されました。
☆ 昭和23年、宮古高等学校と名前が変わりました。
☆ 昭和29年、宮古女子高等学校と合併しました。
☆ 昭和47年、
沖縄県立宮古高等学校と学校名が変わりました。
        
1933年 昭和8年
  5月9日、狩俣小中学校から分かれて、大神島に狩俣尋常高等小学校大神分教場ができました。
     
1936年 昭和11年
  宮古郡町村組合によって、宮古高等女学校が創立されました。(昭和15年県立に)
     
1946年 昭和21年
  宮古中学校(現在の宮古高等学校)に、農業科と海洋(水産)科ができました。
     
1947年 昭和22年
  宮古高等学校から農林部と水産部が分離しました。 
     
1948年 昭和23年
  6・3・3制の新学校制度が始まりました。
  農林部と水産部が独立して、それぞれ宮古農業高校宮古水産高校という新しい高校となりました。
  平良市南中学校平良市北中学校が創立されました。
  良間中学校が開校しました。
  平良南中学校久松分校が、久松小学校内に設置されました。 
昭和25年に平良市立久松中学校として独立しました。
   東仲宗根に山北分校が設置されました。(仮校舎2教室) 
  狩俣中学校は、平良北中学校狩俣分校として設立されます。 
昭和24年に
狩俣中学校として独立しました。
  西城中学校城南中学校として創立しました。 
昭和24年、
城南中学校砂川中学校西城中学校に分かれました。
   城辺と福嶺の2つの学校を合わせて、城東中学校が創立されました。 
昭和24年、城東中学校城辺中学校福嶺中学校に分かれました。 
昭和31年の台風ワンダで、ふたつの中学校のかやぶき校舎が壊(こわ)れました。
  新里中学校が創立されました。 
この年の8月に、学校名が
上野中学校に変わりました。
  下地中学校が創立されました。 
昭和32年、台風により木造校舎4教室が全壊しました。
   伊良部中学校が創立されました。
  伊良部中学校佐良浜分校が設置されました。(佐良浜小学校の教室を借りて始まりました。) 昭和41年に伊良部中学校から独立し、佐良浜中学校になりました。
  多良間初等学校は、多良間小学校と名前が変わりました。
   平良第一国民学校が、平良第一小学校となりました。
  平良第三中学校が創立されました。 
同年5月に学校名が
鏡原中学校となりました。
     
1949年 昭和24年
  3月31日、池間中学校が創立されました。
  4月1日、西辺中学校が創立されました。
     
1951年 昭和26年
  平良第二小学校は、平良市北小学校と名前が変わりました。
     
1952年 昭和27年
  平良市南中学校と平良市北中学校が廃止され、平良中学校が創立されました。
     
1954年 昭和29年
  宮古女子高等学校が廃校(はいこう)になり、宮古高等学校と合併しました。
     
1957年 昭和32年
  4月1日、大神小学校として独立。 
    4月1日、大神中学校が狩俣中学校から分離独立しました。
  山北分校(昭和23年設立)が宮原小学校として独立し、現在地に移転しました。
     
1962年 昭和37年
  水納島小中学校の生徒数が減り、水納島小中学校は多良間分校となりました。
     
1968年 昭和43年
  宮古産業技術学校が開校しました。 
     
1970年 昭和45年
  宮古産業技術学校が宮古工業高等学校となりました。
     
1971年 昭和46年
  宮島小学校が狩俣小学校から分かれて開校しました。
     
1972年 昭和47年
  張水学園が開園しました。
     
1976年 昭和51年
  平良中学校から北中学校分かれ、新しい学校としてスタートしました。
     
1977年 昭和52年
  県立宮古養護学校が開校しました。 
2008年、学校名が沖縄県立宮古特別支援学校に変わりました。
     
  あけぼの学園が開園しました。
     
1978年 昭和53年
  水納島に児童がいなくなり、水納島分校が廃校になりました。
     
1980年 昭和55年
  県立宮古少年自然の家が完成しました。
     
1984年 昭和59年
  沖縄県立宮古高等学校伊良部分校が設置されました。
     
1986年 昭和61年
  沖縄県立伊良部高等学校が独立開校しました。
     
1987年 昭和62年
  平良市立南小学校が開校しました。
     
1990年 平成2年
  平良市立東小学校が開校しました。
     
1992年 平成4年
  沖縄県立宮古水産高校に、宮古高等学校から商業科が移されました。 
それにともない、学校名も翔南高等学校に変わりました。
     
2008年 平成20年
  県立宮古農林高校と翔南高校が閉校しました。
2つの高校は統合され、新しく県立宮古総合実業高等学校となりました。
   
  大神小中学校が休校となりました。
     
2011年 平成23年
  3月31日、大神小中学校が廃校になりました。
  4月1日池間小学校と池間中学校が統合し、池間小中併置校となりました。
     
宮古島の子どもたちは、むかしどうやって勉強していたのでしょうか?
このページでは、宮古島のむかしの学校についての情報をたくさん集めていきます。
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参考資料:
1. 琉球聖典おもろさうし選釈 : 伊波普猷 著 (1924)
2. 沖縄写真帖 : 坂口総一郎 著 (1925)
3. 旧記 桑江克英 校訂版 : 琉球王代文献頒布会 (1939)
4. 史蹟名勝天然紀念物調査報告 : 内務省 編 (1920)
5. 日本国勢調査記念録 : 日本国勢調査記念出版協会 (1923)
6. 平良町町誌 : 沖縄県宮古郡平良町 (1934)
7. 宮古の研究 : 比嘉重徳 著 (1918)
8. 宮古島旧史 : 西村捨三 著 (1884)
9.
宮古島市教育委員会 生涯学習部市史編さん事務局
 
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