1762年5月22日 |
イギリス チェシャー州で生まれる。 (*1)
父: Challes Broughton(チャールズ・ブロートン)
母: Elizabeth Young(エリザベス・ヤング) |
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1775年〜1783年 |
海軍少尉(しょうい)候補生として、アメリカ独立戦争に従軍(じゅうぐん)しました。 |
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1782年1月12日 |
イギリス海軍の士官になりました。 |
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1782年7月6日 |
インド東海岸でフランス海軍サフレン艦隊(かんたい)と、ネガバダンの海戦 に参加。 |
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1791年 |
チャッタム号の艦長となり、第一次バンクーバー遠征隊(えんせいたい)に参加。 |
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1793年10月 |
プロビデンス号の艦長となる。 |
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1795年 |
第二次バンクーバー遠征隊に参加。 |
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1796年 |
東アジア沿岸、北方航路の探検。 プロビデンス号の室蘭(むろらん)寄港。 その後千島列島の調査を行い、太平洋側からマカオに戻る。 |
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1797年 |
東アジア沿岸、北方航路の探検。 宮古島の八重干瀬(ヤビジ)で座礁(ざしょう)。 プロビデンス号沈没(ちんぼつ)。
ブロートン艦長と75名の乗組員は伴走船のスクーナー(2本マストの小型帆船(はんせん))に乗り移り、宮古島に寄港(きこう)。
宮古島の人たちから飲み水や食料の支援を受けて、マカオに戻る。 |
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1797年6月26日 |
35人の乗組員と共に、スクーナー船でマカオを出航。 東アジア海岸と北方航路の探検を行い、那覇、韓国と室蘭(むろらん)に立ち寄りました。
その後、津軽海峡(つがるかいきょう)から日本海側に出て、北に向かい、サハリンまで行き、調査を終えています。 |
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1798年5月 |
セイロン島でスクーナー船を降ります。 |
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1800年 |
イギリスへ帰国。 |
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1802年11月6日 |
いとこの Jemima Broughton(ジェミマ・ブロートン)と結婚。 |
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1803年
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ペネロープ号の艦長となる。 北海でフランス艦隊と交戦。 |
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1804年 |
プロビデンス号で行なった探検記録を本にした、「北太平洋探検航海記」を出版しました。 |
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1809年4月11日 |
イラストリアス号の艦長として、フランス・ブレスト艦隊攻撃(こうげき)に参加。 |
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1811年4月18日 |
イラストリアス号の艦長としてジャバ遠征隊に参加。 |
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1811年 |
上官と衝突して海軍を除隊(じょたい)。 (*2) |
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1819年 |
海兵隊大佐として、軍務に復帰。 |
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1821年3月12日 |
赴任先(ふにんさき)のイタリア、フィレンツェ(フローレンス) で死亡。 |
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(*1) については、他の州が出生地との説もありますので、調査中です。
(*2) については、正確な内容を英国王立海軍博物館などの資料で確認中です。 |